僕がプライドを捨て、自分を生きられるまで

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5minsコーチングブログを運営しているベーやん(@kazuyaisobe)です^^

 

この記事では僕の生い立ちについて紹介したいと思います。

 

僕は昔、両親や周りの意見ばかりにそって生きてきました。

 

レベルの高い大学、大企業、安定。

 

そんな周りがよしとする王道ルートを僕は歩んでいました。

 

違和感はずっと感じていたけど、その道を外れる勇気なんてまったくありませんでした。

 

そんな僕がどうやって、周りの目を気にせず、海外で社会人1年目から自分の好きなことで生きていけるようになったのか。

 

またこのブログをなんでやっているのか。

 

について紹介していこうと思います。

 

読んで少しでも共感してもらえる人がいたら嬉しいです。

 

 

軽いいじめや体罰にあった閉塞的な中学校時代

 

中学校時代、ぼくには居場所がありませんでした。

 

家庭では両親がひどく喧嘩するようになり、毎晩罵声を浴びせあっていました。

 

「なんでお互い愛しあってるはずなのに、こんなに喧嘩するんだよ…。」

 

そう思いながら、弟と寝室に隠れ、毛布にくるまって耳を塞いで、両親の喧嘩が聞こえないようにしていました。

 

反抗期ということもあり親の口を聞かなかったので、家庭では心から安心して暮らすことができませんでした。

 

ベーやんプロフィール1

 

一方学校では、野球部やバスケ部の監督が怖くて嫌いだったことから、ラグビー部に入ったのですが、そこで体の細かった僕はよくいじめられました。

 

「お前見てたらアフリカの子ども思い出すわ!」

「液晶パネルみたいな胸しとんな!」

 

先輩や同期は僕の気持ちを考えずに心ない言葉を浴びせてきました。

 

目の中に虫除けスプレーを入れられたり、お尻の匂いをかがされたり。人間とは思われないようなことを先輩にされたこともされました。

 

ラグビー部

ラグビー部時代の写真。前列左から3番目が僕。

 

また、通っていた中学は体罰が認められていて、少しでも校則を破ったら、相談室に呼び出され、先生に頭をはたかれたり、蹴られたりしました。

 

僕の友達はグラウンド一周後ずさりしながら、血を吐きながら体罰をされていたくらいです。

 

生徒のことを思ってやっていたのだと思いますが、僕たちにとってはひどく閉塞的な環境でした。

 

そんな環境のなか僕は、どんどん自分の存在そのものに自信がなくなっていました。

 

「生きてていいんだろうか。」

「これがずっと続くなら死にたい。」

 

と自殺はしなかったものの、風呂場で自分の首を絞めるふりをしては泣いて苦しんでいました。

 

そして、中学2年生のある日、学年集会で作文のスピーチを150人の前でやるように言われました。

 

その日に頼まれた上に、自信のなかった僕は「こんな大勢の前でスピーチできるはずがない」と逃げ出したい気持ちでした。

 

僕は6番目くらいで、自分の番が近づくほど、心臓の鼓動が聞こえ、緊張していました。

 

あと2人…ドクドク

あと1人…ドクドクドクドク

僕の番…ドクドクドクドクドク

 

150人の生徒を前にした僕は緊張で手足が震え、半分も話せませんでした。

 

「えっと…」

 

「あの…」

 

見ている生徒はクスクス笑ったり、内容がわからずポカーンとしたりしていました。

 

スピーチが終わった時はこの世の終わりだと思いました。

 

先生に殴られる、友達にいじめられる。

 

そんなことが頭によぎりました。

 

案の定スピーチが終わったあと、ラグビー部の同期が、僕のスピーチのモノマネをしてからかってきました。

 

その時、表面上は笑いつつも、心の中は泣いていました。

 

この出来事以来、僕の自信は底をつき、人の目を強く気にするようになりました。

 

中学時代、居場所は家にも学校にもどこにもありませんでした。

 

自分を変えようと、とにかく行動した高校時代

 

中学校時代の自信がない自分を知られたら、嫌われるんじゃないか。

 

そんな思いから、中学校の時の自分を隠すために自信があるように振るまうようになりました。

 

例えば、文化祭の劇の脚本を3年連続でやったり、体育祭の演舞の指導を率先してやったり、周りから認められるために必死に行動していました。

 

高校時代

高校時代の大切な仲間たち。右から2番目が僕。

 

それゆえ「頼りがいのあるやつ」という存在で周りからは見られていたと思います。

 

逆にそのイメージを崩さないことに必死で、毎日が息苦しかったです。

 

人のために生きていて、自分のためなんて1つも考えられませんでした。

 

そんな僕にも、4年間付き合うことになる彼女ができました。

 

彼女に好かれようと必死に頑張るに僕にも、常に笑顔で優しくありのままの僕を受け入れてくれる人でした。

 

そんな彼女が僕の唯一の居場所でした。

 

しかし、ある時、「プライド高いよね。もっと自分らしくしたらいいのに。」と言われショックを受けたことがありました。

 

「そんなことないよ。これがありのままだよ。」

 

と図星だとバレるのが嫌で、苦しまぎれに言い訳をしました。

 

ベーやんプロフィール2

 

高校時代の僕は、弱みをさらさず、強いところばかりを見せようとしていました。

 

それが指摘されて傷つくくらい、繊細なプライドを持っていたのです。

 

そして、自信のないまま受験シーズンをむかえます。

 

進学校で周りも大学受験をするのが当たり前で、親からも有名大学に行くように言われていたので、何も考えず受験をすることになります。

 

学校の行事やラグビーに打ち込んでいた僕は、まったくと言っていいほど勉強ができませんでした。

 

目指していた国公立大のセンター模試はE判定。

 

テスト全体の5割くらいしか取れませんでした。

 

「あーこれ人生終わったな…。」

 

勉強をちゃんとしなかった自分に強い嫌悪感を覚えました。

 

親のプレッシャーから僕は、周りが私立に行く中、国公立しか受けず、案の定失敗しました。

 

また、みんなが受ける私立を受けて、失敗したら恥。

 

という気持ちもあったかもしれません。

 

いじめられたり、バカにされるのが怖くて、「親や友達ににどう思われるか」ばかりを気にしていた高校生時代でした。

 

暗闇のどん底。浪人時代

 

終わりのない暗くて長い浪人生活がスタートしました。

 

不器用だった僕は、とにかく勉強時間を増やそうとしました。

 

「この1年で結果を出さないと人生が終わる…。」

 

大学に入ることが人生のすべてだと思っていた僕は、誰よりも早く予備校に行き、誰よりも遅く帰宅していました。

 

食べることも忘れ、1日12時間以上勉強していました。

 

僕はこの浪人時代で人生を変えてくれるK先生に出会います。

 

彼女は1つのミスも許さない超スパルタの英語教師だったのですが、英文の構造を1からていねいに教えてくれて、僕は英語が大好きになりました。

 

文法や英作文が得意になり、国公立の2次模試では、偏差値70を超えた時期もありました。

 

一方、他の数学や国語という国公立の必須科目が全然できませんでした。

 

センター1ヶ月前の模試でも7割くらいしか取れませんでした。

 

目指していた神戸大学の国際文化学部は最低8割が全体で必要でした。

 

「あー人生終わったな…。」

 

そんな時に一緒に暮らしていたおばあちゃんが話しかけてくれました。

 

「大学がすべてやないねんで。おばあちゃんは高校までしか言ってないけど、こうして元気に暮らしてるやろ。 自分の実力のすべてを出して、あかんかったらあかんでいいんやで。」

 

そんな優しい一言に涙がとまりませんでした。

 

その一言が苦しさやプレッシャーでがんじがらめだった僕の心を解きほぐしてくれました。

 

「両親や友達の期待。そんなものどうだっていいやー、自分の人生だし。」

 

少しだけそう思えるようになりました。

 

 

それでもプレッシャーが消えたわけではありません。

 

残りの1ヶ月センター模試を何十回と練習しました。

 

そして、センター試験当日をむかえました。

 

いつもの数倍寒くて、雪が降る日でした。

 

母親が準備してくれた、おにぎりと、チョコレートを握りしめ、凍えながら受験会場に向かいました。

 

会場には高校生もたくさんいて、去年の自分を思い出しながら、 「今年は支えてくれた家族のためにも失敗はできない」と言い聞かせました。

 

会場に入り、緊張で復習もできず、試験開始がしました。

 

失敗したら終わる。

 

そんなプレッシャーが自分を苦しめてきます。

 

1科目目社会、2科目目国語、3科目目英語…。

 

ゆっくり時間が過ぎてほしいという気持ちとは裏腹に、試験時間はいつもより速くすぎていきます。

 

そうして英語の時間でリスニング機材のトラブルがありながらも、なんとか1日目の試験を終えることができました。

 

2日目は得意だった生物と、苦手だった数学の試験でした。

 

生物は順調に終えることができたのですが、数学ⅡBの微分と積分に時間を取られ過ぎて、完答することができませんでした。

 

帰宅し新聞の回答を見ると、センター試験のできはだいたい76%くらいでした。

 

「あーあ、神戸大学いけへんやん。」

 

努力しても報われないのかよ、と悔しい思いでいっぱいでした。

 

好きだった英語を使って、留学できる神大国際文化学部を夢見ていたのですが、テストの点数は残酷で諦めるしかありませんでした。

 

予備校の担任には、私立に行ったほうがいいかもとまで言われました。

 

しかし、僕は両親にこれ以上金銭的な負担をかけたくなかったので、市民は入学費用が半額になる大阪市立大学を選ぶことにしました。

 

また、祖父母と生活していたこともあり、高齢者や福祉に関心があったので社会福祉が学べる学科に決めました。

 

高校時代に市大のオープンキャンパスに来たことがあったのですが、その時に部活の先輩に「お前にはいけんからやめとけ」と言われていた大学でした。

 

しかし、2次試験の配分が高い大阪市立大学ならまだチャンスある。

 

得意な英語で挽回できると思い、先輩を見返す気持ちで出願しました。

 

そして本番は、英語と国語の2科目だけでした。

 

過去問も10年分やり、準備は万端。

 

本番当日は、両方ともほぼ満点取れたくらいの実感があり、合格することができました。

 

通知の配達が来たとき、涙を流して家族と喜びをわかちあいました。 人生で初めて努力して成功した経験でした。

 

成功と挫折を経験した大学時代

 

まだまだ自信がなかった僕は、引き続き経験で自信を積み上げようと努力します。

 

カナダでのホームレス支援

 

英語が得意だった僕は、 「将来英語を生かした仕事をしよう。」

 

そう決心して、1年生の春休みに単身でカナダに行くことにしました。

 

英語は学ぶより使ったほうがのびるだろうと、NGOのボランティアに参加しました。

 

僕が所属していたNGOは、サルベーションアーミーという団体で、バングーバーの低所得者・ホームレス向けに給食活動をしていました。

 

僕はキッチンスタッフと交流しながら、ピザを焼いたり、マッシュドポテトを作ったり、たくさんのことを楽しく体験させてもらいました。

 

カナダボランティア

肉を焦がして怒られた時の写真。

 

一方、ホームレスの人は何 100人と施設内に入ってきます。

 

家族で食べにきている人もいれば、さみしく独りで食べている人もいます。

 

バンクーバーは住みたい都市ランキング1位と言われています。

 

そんな都市になんでこんな貧困に苦しんでる人がいるんだろうか。 僕は疑問を持つようになり、世界の貧困問題についてもっと知りたいと思うようになりました。

 

タイの少数民族で日本語教室

 

貧困問題に関心を持った僕は、大学2年生の時にタイのチェンライで少数民族の支援をしているNGOでインターンすることになりました。

 

僕はアカ族、カレン族、ラフ族という3民族に配属され、農業や教育のサポートを行なっていました。

 

そんな中1ヶ月間民族の小学校の夏休みがあり、有志の小学生向けに日本語の授業をさせてもらうことになりました。

 

タイのNGO

ウクレレの披露宴(写真一番右手前)

 

40人ほど生徒が集まり、その子たちに日本語や日本の文化を、遊びや歌を通して教えたりしました。

 

言葉が民族によって違う背景もあり、民族の子どもたちは言語習得にたけていて、2週間くらいたったころには自己紹介も完璧にできるようになっていました。

 

そんな中、小学生にまぎれ1人高校生の女の子が、一番前で授業を受けてくれていました。 彼女の名前はクワンカーオ。

 

タイボランティア

授業の後のウクレレレッスン。写真右がクワンカーオ

 

アカ族出身の16歳の女の子でした。

 

一生懸命僕の授業のメモを取り、授業外でもたくさん質問してくれました。

 

「日本ではどんな歌が人気なの?」

 

「日本人はどんな人なの?」

 

「日本人は何を食べるの?」

 

また、僕も彼女もウクレレが好きだったので、タイの曲や日本の曲を教えあったりもして、とても仲良くなりました。

 

そうしているうちに、1ヶ月はあっという間に過ぎました。

 

僕が帰国する時、彼女は僕に手紙をくれました。

 

そこにはこんなことが書かれていました。

 

オッパー(僕のこと)へ

 

日本語やウクレレを教えてくれてありがとう。

 

オッパーと過ごせた日々は幸せでした。

 

わたしは今まで勉強が好きじゃなかったけど、あなたの授業を受けて、日本について興味を持ちました。

 

本当は家の農家を継ぐと思っていましたが、大学に進学し、日本語を勉強して通訳になりたいと思っています。

 

タイに来てくれてありがとう。オッパー。

 

 

涙が止まりませんでした。

 

なぜなら、今までの人生で、こんなに感謝されることが初めてだったからです。

 

「生きてていいんだ。」

 

「僕も誰かに必要とされるんだ。」

 

自分の居場所がこんなタイの山奥にあるなんて。

 

ずっと失ったままだった自信を少しだけ取り戻した気がしました。

 

そこから、自分の作った何かを通して人の人生が変わっていくことにやりがいを感じ、、「人の人生の起点になるような仕事をしたい」と考えるようになりました。

 

ソーシャルビジネスのシリコンバレーでインターン

 

大学3年生が終わった頃、自分のやりたいことがわからなかった僕は、休学することを決意しました。

 

そして、「人の人生の起点になる」=「教育・キャリア支援」なのかなと思い、そのようなインターン先を探していたところ、PALETTEというフィリピンで就労支援をしているNGOのことをFacebookで知りました。

 

NPO法人PALETTE

 

そのNGOは、フィリピンの貧困地区の若者向けに就労支援をしている団体で、生まれた環境問わず、自分の夢に挑戦できる社会を作ろうと活動していました。

 

「僕がタイで日本語を教えていたクワンカーオは大学に通い、通訳になれるかもしれないけど、お金や情報やコネがない人はどうやって自己実現していくんだろう」

 

と、純粋に気になり、PALETTEでインターンしたいと思うようになりました。

 

そして、メールを送り代表と面接をし、受け入れてくれることが決まりました。

 

仕事をする場所は、ソーシャルビジネスのシリコンバレーGK Enchanted Farmという場所でした。

 

GK Enchanted Farm 動画

 

世界中から社会起業家が集まり、お互いに切磋琢磨しながら起業している素敵な場所です。

 

そして、僕はすぐにフィリピンに飛びました。

 

着いてからはそこで何かしら成果を残そうと色々アイデアを絞りました。

 

「屋台ラーメンチェーンを作って、生計向上支援!」

「マイクロファイナンスで、奨学金ローン!」

 

しかし、ほとんどの事業案は代表に却下されました。

 

なんのために来たんだろうか…。

 

全然通用しない自分がそこにはいました。

 

それでも諦めず、他の社会起業家たちに負けないように、事業案を代表に送り続けました。

 

その結果、1つだけ通った案がありました。

 

それは「貧困地区の若者向けJob Fair」という職業スキルの獲得と、求職活動が1日でできるというイベントでした。

 

ちょうどその時、代表と元Sony Musicの人が構想していた、キャリア支援×お祭りのイベントと、僕のJob Fairの構想が重なり、現地のプロジェクトマネージャーをさせてもらうことになりました。

 

そして、イベントの内容を考えるために僕は120人の学校をドロップアウトした若者にアンケートとインタビューを行いました。

 

「理想の職業はなんですか?」

「どうやって仕事を見つけますか?」

 

色々質問をしているうちに、現地の若者の職業観がかなり狭いということに気づきました。

 

理想の職業は、教師、船乗り、エンジニア…。

 

親や友人の影響だけで職業を決めるので、理想の職業の偏りが大きいことがわかりました。

 

なので、職業観を広げ自分にあった夢を持つことがまず大事だと思い、

 

イベントの内容を「職業体験ブース」と「奨学金をかけて夢を語るスピーチコンテスト」の2つにしました。

 

そして、理想のキャリアをお祭りの中で楽しく見つけてほしいという想いからCareer Fiesta(キャリアフィエスタ)という名前にしました。

 

それから、当日のブースを出展してもらうため職業訓練校を回ったり、スピーチコンテストの予選をやったり、縦横無尽にフィリピンをかけ回りました。

 

クラウドファンディングでも日本のメンバーに力を借り、なんとか55万円ほど集めることができました。

 

フィリピン中を営業

地元の職業訓練校を口説いてる時の写真

 

そんな中スピーチコンテストの予選が終わり、予選最下位でギリギリ通過したクリストファーという20歳の男の子がいました。

 

彼は、区役所のおばちゃんから半ば強制され参加をしていたので、最初はあまりやる気がありませんでした。

 

「自分なんて…」

「どうせ優勝できないよ…」

 

そんなネガティブな言葉ばかり使っていました。

 

しかし、僕と一緒に夢を見つけ、スピーチを作って行く中で、どんどんやる気が出て一生懸命練習するようになりました。

 

クリス

コーチング時の写真。写真左がクリストファー

 

彼は、スラムの出身でお金がなく、兄弟が多いため、大学に行くことができていませんでした。

 

なので、同じような立場にいて貧困に苦しむ人たちを雇用して、職業訓練を行う社会起業家になりたいという想いが日々話す中で明確になっていきました。

 

そして本番当日、会場には500人以上の聴衆がいて、その前でスピーチをすることに。

 

5人のファイナリストが紹介され、1人ずつ自分の夢をスピーチして行きます。

 

1番…2番…、と続きクリストファーの出番がきました。

 

スピーチが始まった途端、普段のシャイな性格が吹っ飛んだかのように、熱い想いを泣きながら語ってくれました。

 

「僕は社会起業家になるんだ!」

 

気持ちをつかまれた、観客はスタンディングオーベーション。

 

結果は、クリストファーの逆転大勝利に終わりました。

 

キャリアフィエスタ

コンテスト授賞式の様子。真ん中が僕とクリストファー。

 

彼はこのコンテストをきっかけに、奨学金を獲得し、地元の大学の経営学科に進学しました。

 

今はそこも卒業し、マニラの不動産の会社で勤務しています。

 

コンテスト終了後、彼は僕にこんなメッセージをくれました。

 

i already read your message to me…sir i just want to thank you for all your helps and sacrifices…(あなたのメッセージを読みました。あなたのサポートと犠牲すベてに感謝しています。)

 

i really appreciate it..thank you also for believing in me to prove my skills and capability to everyone…(僕を信じて、スキルを磨いてくれてありがとうございました。)

 

your one of a kind I had big gratitude to you.im nothing without you.(あなたがいなければ、何者でもなかったと思います。)

 

i was crying to be honest with you during im reading your message to me.(あなたの手紙を読んで泣いています。)

 

it really touch my heart ..i promise sir that i will do the best of me.. i will study very hard to reach my dream.to become successful…once again you very much(大学では自分のベストを尽くします。そして自分の夢を必ず叶えます。本当にありがとう。)

 

このメッセージをもらい、号泣しました。

 

 

人の人生の起点になること」が居場所を作り、生きがいになると、強く実感することができました。

 

Career Fiestaの動画。

自分のクソみたいなプライドに気づいた就活時代

 

就活

 

休学期間が終わり、日本に帰国。 周りに流されるように就活を始めました。

 

「親や周りの友達に、いい企業に入ってすごいやつだと思われたい。」

 

その一心で、自分のやりたいことよりも、周りからの評価を重視して就活をしていました。

 

そんな中、たまたま民間企業がやっている面接の講座に参加をしました。

 

しかし、

 

「1分間で自己紹介をしてください」

「志望理由をのべてください」

 

といった簡単な質問に緊張して、全然答えられなかったのです。

 

周りの就活生達はハキハキと答えて行く中、僕はしどろもどろ。

 

「こんなに頑張ってきたのに、ここで人生ゲームオーバーかよ。」

 

僕は経験をひたすらつむことで、自信が得られると思っていたのです。

 

でも本当は、こんな小さい挫折でくじけてしまうくらい自信がありませんでした。

 

自分をありのまま信じること」が自信なのに、僕が持っていたのは「強みや成功体験だけを信じる」見栄やプライドでした。

 

だからそんな理想の自分が崩れることにおびえ、面接でも緊張してうまくいかなかったのです。

 

ここで、僕は今までの過去を全て振り返り、「情けない自分」や「できない自分」をすべて受け入れることにしました。

 

嫌いだった自分をすべて書き出し、それを1つ1つ声に出して受け入れて生きました。

 

今も完全に自分を受け入れられているわけではないですが、こうして人に過去をさらせるくらいにはなりました。

 

ここでやったことは、自信の持ち方を世界一わかりやすく解説してみたに書いていますのでご覧ください。

 

そうしてからは、少しずつ弱みがでること、失敗を恐れなくなり、就活でも挑戦できるようになりました。

 

教育大手や広告大手の企業が主催するビジネスコンテストで優勝させていただき、オファーをもらうこともありました。

 

プライドをすてて、海外新卒で挑戦

 

就活は順調だったのですが、心の中でずっと違和感を感じていました。

 

「満員電車しんどい…」

「スーツを着てロボットみたいになりたくない…」

「総合職でやりたくない仕事だけになったらどうしよう…」

 

周りの同調圧力に負け、心の悲鳴を押し殺して就活をしていて、僕の心はどんどんおかしくなっていきました。

 

あるインターンプログラムの帰り道、就活仲間と電車の中で話している時にふと自分の本音がこぼれました。

 

「やりたいことを仕事にできたら最高なんだろうな…。」

 

自宅に帰ってから、本当にやりたいことってなんだったっけ?と自分に問いました。

 

そんな時浮かんできたのはスピーチコンテストのクリストファーや他のファイナリストの顔でした。

 

コンテストの参加者

 

「自分の大切な人たちの起点になりたい。」 就活ですっかり忘れていた人たちのことを思い出しました。

 

その日限りで勇気を振り絞り、就活をやめ、母親に相談しました。

 

「本当はPALETTEで働きたいんだ。将来どうなるかわからないけど、今後悔しないように生きたい。だから就活やめるよ。」

 

と正直に伝えると、母は

 

「お母さんも自分が好きなことを仕事にしてる。でもずっとあなたには私たちの生きてほしい道を押し付けてしまったね。ごめんね。ここからは和弥の好きなように生きなさい。」

 

肩にかかってた重荷がすっととれて、心とカラダがすごく楽になりました。

 

ずっと両親や友達が良しとする生き方をしていたので、「自由(自分の理由)に生きていきていく」決断をするのは怖かったですが、今は後悔していません。

 

この時に認めてくれたお母さん、家族のみんな。本当にありがとう。

 

このあとすぐに、PALETTE(フィリピンでインターンしてたNGO)の代表を飲みに誘いました。

 

京都の小さいBARで、ほろ酔いになりながら決意表明しました。

 

「PALETTEで続けようと思ってるんで、社員にしてください。よろしくお願いします。」

 

「おーまぢか!かずやがいてくれたら嬉しいなー!」 とすんなり受け入れてくれました。

 

新卒なんて雇うつもりのなかったのに、受け入れてくれたのです。

 

そして、僕は大企業に行くのをやめ、プライドを捨て新卒1年目からフィリピンで働くことになりました。

 

PALETTEは3年目。勝負の年でした。

 

ここで自分の力量次第で、企業がつぶれるかつぶれないかが決まる。

 

こんな成長するチャンスは二度とないと思い、決断しました。

 

自信をつけ、挑戦しつづけている現在

 

現在僕は社会人3年目になります。

 

英語と社会起業を学ぶ学校PALETTE SCHOOLのマーケティングや、貧困地区から起業家になる若者向けの大学SEEDでのコーチング研修を行っています。

 

最近では、Voicyというラジオに出演をさせてもいただいたり、Freedom summitという世界的なフリーランスの大会に登壇させてもらったりしました。

 

フリーダムサミット

 

 

幼少期からずっと自信がなくて、周りの目ばかりを気にし、失敗を恐れビクビクしていた僕が、今は世界を舞台に挑戦をしています。

 

正直、自分でも驚いています笑

 

こんな経験から、僕は「周りが良しとする人生を生きてきたけど、違和感を感じている同世代」の人生が変わる起点になりたいと思っています。

 

そのために、現在は人生の目標達成や問題解決をサポートするコーチング資格をとり、このブログを運用しています。

 

もし今あなたが少しでも自分らしく生きられていないと思うのであれば、ぜひ僕を頼ってください。

 

あなたが自信をつけて、夢を見つけて、それを仕事にして行くサポートをします。

 

このブログを通して、あなたがコーチングや目標達成の方法を身につけ、最高の人生を送れるように精進していきます。

 

もし、僕と話したいという人は、TwitterにDM(@kazuyaisobe)送ってくださいね^^

 

じっくりお話ししましょう!!